平成21年度神田祭特設サイト|江戸の伝統・日本三大祭の粋

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神田祭|江戸の伝統・日本三大祭の絆
神田祭について
明治時代の神田祭
明治時代の神田祭
明治時代の神田祭
明治時代になり、東京は実質的に日本の首都となった。西欧・欧米諸国と渡り合っていくためには「文明開化」が絶対の条件であった。西欧諸国にとって「野蛮」と見られたものは、全て排除すべきという風潮が政府に見られ、多くの法令により庶民たちを縛りつけた。明治以降、神田祭の山車は明治17年に46本、明治20年に40本と、江戸時代の36番40本前後と同じぐらい盛大な祭礼が行われた時もあったが、明治22年を境に不景気と電線架線などの影響から、山車が出されなくなっていき各町に備え付けられるのみとなった。その後、神田祭は祭礼行列が神輿のみの渡御へと変化していった。また遡って明治5年より錦蓋翳4本・五色旗などの近代の神社制度に則った装飾が加えられ、明治9年より馬車が導入されるなど近代的な変化を遂げていった。さらに巡行路も氏子区域全ての神輿渡御へと変更され、非常に細かな路地まで渡御が行われるようになり、それにより日程が2日間から3日間、さらに4日間へと増加していった。明治25年の神田祭より、台風・疫病流行の時期を避けるため、祭月を9月から5月に変更、以降、今日まで5月に斎行されている。


大正・昭和戦前の神田祭
大正・昭和戦前の神田祭
大正・昭和戦前の神田祭
大正時代、山車は姿を消し、神社の神輿が渡御する「神輿渡御祭」へと名称も変更された。渡御祭は、数日かけて氏子町々を隈なく渡御する祭で、長い日には1週間もの日数をかけて渡御が行われた。大正8年、2基の神輿を大鳳輦1基に改めた。残念ながら、この鳳輦は大正12年の関東大震災により焼失してしまい、たった1度の渡御しかしていない。関東大震災後、幾度か渡御祭は延期されたが、昭和元年に鳳輦が新調され神田祭が復活、同9年には二の宮神輿も復興された。昭和17年が戦前最後の神田祭で、この時、鳳輦が牛が曳く形式へと変化した。


※雨天等、当日の状況により時間やコースが変更となる場合がございます。あらかじめご了承ください。
行事日程
江戸の天下祭で一番の人気を誇った「附け祭(つけまつり)」。さらに賑やかに、そして新しい行列が登場します。

行事日程
鳳輦・神輿遷座祭
5月7日(木) 午後7時
鳳輦・神輿遷座祭


氏子町会神輿神霊入れ
5月8日(金) 夕刻
氏子町会神輿神霊入れ
各氏子町会神酒所


神幸祭
5月9日(土)
神幸祭


神輿宮入
5月10日(日)
神輿宮入


献茶式、明神能
5月14日(木)
献茶式、明神能


例大祭
5月15日(金)
例大祭


行事日程
神田祭の期間中には、様々な会場で楽しいイベントや行事が開催されます。

行事日程
ピンバッジ
300円
根付け(紺・赤)
各500円
扇子
1,200円
手拭い
800円
うちわ(竹製)
200円
Tシャツ(紺・白)
1,500円
拍子木守
800円
半天守
800円
大型本『鬼がゆく』
2,000円
公式ガイドブック
300円



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