平成21年度神田祭特設サイト|江戸の伝統・日本三大祭の粋

神田祭
神田祭.ch
神田祭生中継サイトは
コチラから
神田祭.ch神田祭公式ブログは
コチラから
当日の日程や動画中継などがご覧になれます。
フォトコンテスト
神田祭|江戸の伝統・日本三大祭の絆
神田祭について
神田祭の起源をたずねる その神田祭の起源は記録文書等がほとんど遺されておらず詳細は不明であるが、大祭化したのは江戸時代前後のことでである。江戸時代の『神田大明神御由緒書』によると、江戸幕府開府以前の慶長5年(1600)に徳川家康が会津征伐において上杉景勝との合戦に臨んだ時、当社に戦勝の祈祷を命じられ、また石田光成との天下分け目の関ヶ原の合戦おいても同じく戦勝の祈祷を命じられた。神社では銘により毎日心を込めて祈祷を行っていたところ、不思議なことに9月15日の神田祭の日に家康が合戦に勝利し天下統一を果たした。それにより家康の特に崇敬するところとなり、社殿、神輿・祭器が寄進され、神田祭は徳川家縁起の祭として以後絶やすことなく盛大に執り行うべきことが仰せ付けられた。


江戸時代・神田祭の巡行路

9月15日の暁丑の刻(午前2時頃)、江戸の町を埋め尽くす2年に一度の神田祭ははじまる。勢揃いした町々の山車や附祭は湯島聖堂前・桜の馬場を出発。同じころ神輿の行列や諸大名より出された警固役や神馬も大榊を先頭に神社を出て昌平坂を降り、ここで合流し神田祭の行列は完成する。行列は筋違橋御門から江戸城・外廓内へ入り神田の町々を渡り、さらに田安御門より内廓に入った。朝鮮馬場で一時休憩した後、上覧所前を通過する。上覧所では将軍や御台所(将軍の夫人)、大奥女中たちが祭を楽しんだ。そして行列は竹橋御門を経て大手橋と神田明神旧鎮座地にいたり、ここで獅子の狂いと神事が執り行われた。その後、常盤橋御門から江戸城外を出て町々の山車や附祭はここで解散、神輿の行列は日本橋の町々を通り、大伝馬町・小舟町・南伝馬町の御仮屋へ行き神事を執り行い神社へと向かう。神社への帰途、路次には町々が競って提灯を掲げ神輿の帰りを出迎えた。そして、戌ノ刻(午後8時ころ)頃、神社へ帰社し、天下祭・神田祭は終わりを遂げた。


一番人気は、附祭(つけまつり)


各町より出された華麗な山車が多くの人々の目をひきつけたが、それを凌ぐほどの人気があったのが「附祭(つけまつり)」と言われた出し物であった。附祭とは、曳き物(ひきもの)と呼ばれた巨大なはりぼての人形や様々な流行の衣装を身にまとい流行の音楽を奏でながら行列に参加した踊り子などのことを言い、毎回違う出し物が出されたため多くの見物人を楽しませた。

附祭の代表的なものには「大江山凱陣」「大鯰と要石」「牛若丸奥州下り」「朝鮮人来朝の学び」などがあった。曳き物あり、踊りあり、屋台ありとどこからどこまでを附祭と呼んだのか、なかなか見当がつかず、非常にわかりにくい。しかし少なくとも「何でもあり」でかつ神田祭において「一番人気」の出し物であったことは確かだ。

現代の神田祭でも、様々な附祭を出し話題を呼んでいる。平成19年は、「大江山凱陣」の復活、「大鯰と要石」、「狛犬・獅子」、「サンバ」などが出された。いつの時代も流行を先取りした附祭は人気である。


※雨天等、当日の状況により時間やコースが変更となる場合がございます。あらかじめご了承ください。
行事日程
江戸の天下祭で一番の人気を誇った「附け祭(つけまつり)」。さらに賑やかに、そして新しい行列が登場します。

行事日程
鳳輦・神輿遷座祭
5月7日(木) 午後7時
鳳輦・神輿遷座祭


氏子町会神輿神霊入れ
5月8日(金) 夕刻
氏子町会神輿神霊入れ
各氏子町会神酒所


神幸祭
5月9日(土)
神幸祭


神輿宮入
5月10日(日)
神輿宮入


献茶式、明神能
5月14日(木)
献茶式、明神能


例大祭
5月15日(金)
例大祭


行事日程
神田祭の期間中には、様々な会場で楽しいイベントや行事が開催されます。

行事日程
ピンバッジ
300円
根付け(紺・赤)
各500円
扇子
1,200円
手拭い
800円
うちわ(竹製)
200円
Tシャツ(紺・白)
1,500円
拍子木守
800円
半天守
800円
大型本『鬼がゆく』
2,000円
公式ガイドブック
300円



本サイトで使用している文章・画像等の無断での複製・転載を禁止します。
Copyright 2009 Kandamyoujin All right reserved. No reproduction or republication without written permission.