明治時代から昭和戦前
明治に入り、神田明神から神田神社と名前を変えたが、明治17年に46本、明治20年に40本の山車が出され、江戸時代と同じくらい盛大な祭礼が行われた時もあった。しかし明治25年、台風の影響などから祭月が9月から5月に変更されたり、不景気と電線架線などの影響もあり、山車が出されなくなっていき各町に備え付けられるのみとなった。
大正時代に入ると、神社の神輿が渡御する「神輿渡御祭」へと変遷していき、各氏子町は町神輿を作り担ぐようになっていった。渡御祭では、数日かけて神輿が氏子町々を隈なく渡御し長い日には1週間もの日数をかけて渡御が行われた。
大正11年、2基の神輿を大鳳輦1基に改めた。残念ながら、この鳳輦は大正12年の関東大震災により焼失してしまい、たった1度の渡御しかしていない。
関東大震災後、1度延期となったが昭和元年に復活、渡御祭の行列では葱華輦が出された。昭和9年には二の宮神輿が新調された。