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戦後から
 戦後、祭の名称を渡御祭から神幸祭に変更し昭和27年に初の神幸祭が斎行された。この時出されたのは、一の宮の鳳輦のみで牛が曳く形式であった。また、この祭で氏子町会より町神輿の連合宮入が初めて斎行された。昭和40年代になると都心部における自動車などの交通事情の影響のため、5月中旬に行っていた神幸祭を祝日の5月2、3日に改められた。さらに神幸祭の日数も3日間より2日間、そして現在は1日となっている。昭和50年、三越より奉納された二の宮の神輿が行列に加わった。さらに昭和59年にご祭神に正式復座された平将門命の三の宮鳳輦が新調され、昭和62年より行列に加わった。

 平成に入り、諌鼓鶏の山車の復活、相馬野馬追騎馬武者行列の特別参加、町田町火消行列、将門武者行列、一本柱万度型山車の特別参加、船渡御の復活やKIXプロジェクト、インターネットによる神幸祭の映像配信など様々な神賑行事を行い今日にいたっている。また本祭にあたらない蔭祭の年にも、平成16年より当社に奉安する大神輿の渡御が恒例化し、賑やかに行われた。
昭和27年、戦後初の神幸祭(一の宮鳳輦)
昭和27年、戦後初の神幸祭(一の宮鳳輦)
昭和50年に新調された二の宮神輿
昭和50年に新調された二の宮神輿
昭和62年に新調の三の宮鳳輦
昭和62年に新調の三の宮鳳輦
氏子神輿の宮入(江戸神社千貫神輿)
氏子神輿の宮入(江戸神社千貫神輿)
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