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神田明神について
▼将門塚例祭
将門塚例祭
当社の旧跡地・将門塚において三之宮・平将門命の御霊をお慰めする神事。
氏子総代をはじめ将門塚周辺の大手企業の方々よりなる「史蹟将門塚保存会」の会員のご参列のもと祭儀が執り行われます。

将門塚前祭
将門塚前祭 平成21年9月25日(金) 13:30〜
※一般の方もご参列いただけます。


将門塚例祭
将門塚例祭 平成21年9月25日(金) 14:30〜
史蹟将門塚保存会関係者のみの参列です。
※一般の方はご遠慮いただきます。



※時間などは雨天等の都合により若干の変更がある可能性がございます。予めご了承下さい。

将門塚とは
将門塚とは
将門塚は平将門公の御首(みしるし)をお祀りする墳墓であり、また同時に神田明神創建の地でもあります。天慶の乱後、将門公の所縁者たちにより、この地に納められ墳墓が築かれました。

その後、嘉元年間(1302〜5)、将門塚周辺において天変地異が起こり村民たちを悩ませました。徳治2年(1307)になり、時宗の僧・真教上人により将門公の霊が鎮魂され、蓮阿弥陀仏の諡号が付されました。
その後、村民たちの請いにより定住し時宗寺院・芝崎道場日輪寺を開基。
この寺院は後に浅草に移りました。さらに延慶2年(1309)、将門公を神田明神に合祀いたしました。

幕末から明治にかけての将門塚
時代はくだり元和2年(1616)に、徳川家康公が江戸幕府を開き江戸城を拡張することになり、そのため神田明神は江戸城の表鬼門守護にあたる現在の地に遷座しました。
将門塚はそのまま残され諸大名の屋敷の一角を占め、丁重にお祀りされました。
江戸時代より神田祭の時には必ず鳳輦・神輿が渡御して神事が行われ、現在もその古儀は続けられております。
また毎年9月の彼岸の日に将門塚例祭を執り行います。
昭和46年3月、東京都指定文化財(都旧跡)に指定されました。

将門塚板石塔婆
将門塚中央にある「板石塔婆」は昭和45年に再建されたもので、時宗の僧・遊行71世他阿隆然上人の染筆による「平将門 蓮阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 徳治二年」が刻み込まれています。
この塔婆の文面は、徳治2年(1307)に時宗の僧・遊行2世他阿真教上人が将門公の祟りを鎮め「蓮阿弥陀仏」の諡号を追贈した際に作られたと伝えられている板碑の拓本から取ったものです。

故蹟保存碑
明治39年(1906)に平将門公の復権運動を展開した阪谷芳郎・織田完之らにより、当時大蔵省の敷地内にあった将門塚に建立されました。
現在の碑は、昭和15年に再建されたもので、当時の大蔵大臣・河田烈が書をものしています。

将門塚保存会大神輿

江戸時代の将門神輿(大正期撮影)
江戸時代よりご祭神・平将門命がお乗りになった神輿が東京大空襲で紛失して以来、約60年ぶりに復活。
一般的な神輿の形式とは異なる「入母屋造」で台輪3尺5寸という大きなこの神輿は、当社宮司・大鳥居信史と将門保存会会長で当社の氏子総代・遠藤達藏氏が設計・監修を手がけ、6世宮惣・種谷吉雄氏により制作。
将門公をはじめ将門公に縁の滝夜叉姫、一遍上人の彫刻が刻まれています。

この神輿は、史蹟将門塚保存会の参与法人会員を務め大手町・将門塚の隣接する三井物産株式会社より地域社会との交流・史跡旧跡の保存・伝統文化の継承による町おこし・社会貢献活動の一環として史蹟将門保存会に寄贈されました。
昨年5月15日の神輿宮入で大手丸の内町会・史蹟将門塚保存会の方々により担がれ将門公を思わせる勇壮な姿が初披露され、さらに今年5月の神田明神御祭礼においても担がれました。現在は神田明神境内に奉安されています。
将門塚保存会大神輿

将門塚年表
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