神田祭の歴史

神田祭の歴史神田明神の由緒と神田祭の歴史
社伝によると、天平二年(七三○)創建とあり、すでに千二百七十年の歴史を経た、都内で最も古い神社の一つとして知られています。


はじめ神社は皇居のほとり、現在の大手町(武蔵国豊島郡江戸芝崎)にありました。やがて、天慶(てんきょう)の乱(九三九〜四〇年)に破れた平将門公の首が付近に葬られ、天変地異の怪異が続き住民が窮したところ、時宗の真教上人が祟(たたり)を鎮(しず)め、延慶(えんきょう)二年(一三〇九)には将門公が神田明神の祭神として祀(まつ)られました。


時移り、江戸に幕府を開いた徳川家康は当社を深く尊祟して、神領を寄進しました。幕府の発展と城下の大規模な造成により、元和二年(一六一六)には現在の境内地に移転。

神田祭の歴史
この地は、江戸城の良(うしとら)の鬼門に当たる場所で、江戸総鎮守神田大名神に相応ふさわしく幕命により桃山風の荘厳な社殿が築かれました。


江戸時代の神田祭は天下祭とも呼ばれ、華麗な山車が三十六台も続き、将軍上覧の天下第一の祭礼として全国に知られました。

明治を迎えると東京府社に定められ、同七年には明治天皇の御親拝が行われました。関東大震災では社殿他建物がすべて烏有(うゆう)に帰し、昭和九年に神社建築として画期的な、鉄骨鉄筋コンクリート造り総漆朱塗(そううるしぬ り)で社殿を再興。また平成七年より十一年にかけて「平成のご造替事業」が行われ、美しく甦りました。神田祭の歴史