神田祭

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平成27年神田祭特設サイト/ご遷座四百年奉祝大祭の年

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神田祭 日程
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神幸祭の長い一日

神幸祭の長い一日
「天下祭」の呼び名にふさわしい
絢爛豪華な大行列が巡る
ユニークな「附け祭」にも注目を!
神幸祭は、早朝5時すぎに神職、宮鍵講、御防講の奉仕による「御鍵渡しの儀」から始まる。この神事では、宮鍵講員によって庫の扉が開かれ、鳳輦・神輿が境内正面に奉安される。
続いて「発輦祭」。神職や氏子総代をはじめ、祭典委員、鳶頭衆、日本伝統の装束姿をした供奉者ほか神幸祭へ奉仕する人々が参列し、神幸祭の無事を祈願する。そして、鳶頭衆による木遣りの声を先頭に鳳輦・神輿をはじめとする行列が出発する。
途中、神田明神旧蹟地・将門塚において「奉幣の儀」、日本橋・両国旧御仮屋において「昼御饌」、各氏子総代による「献饌」などの神事が行われつつ、行列が巡行していく。
16時頃になると、日本橋三越本店前において、相馬野馬追騎馬武者行列や東京藝大生による曵き物、多くの子供たちによる大江山の鬼の首や大鯰と要石の曵き物といった「附け祭」も加わる。そして「天下祭」といわれた神田祭ならではの豪華絢爛な大行列となる。
中央通り、秋葉原電気街を巡行した行列は、19時すぎに神田明神に帰る。鳳輦・神輿を前に、神幸祭行列が無事に氏子町々へ巡行したことの奉告と感謝の神事「着輦祭」が行われ、木遣りによって神幸祭が締められる。

諌鼓山車

(かんこだし)
その由来は、古代中国において皇帝の政治を諫めるために宮廷の門外に設けた鼓「諌鼓」が打ち鳴らされることがなく、鶏がとまるほど天下が平和であったという伝説からきている。江戸時代、徳川幕府の世が平和であるというところから神田祭の山車の一番に出された。だいこく様とえびす様が乗り、打出の小槌と鈴を手にして人々へ幸福を授ける。平成2年、氏子崇敬者の浄財によりに約100年ぶりに再興。

獅子頭山車

(ししがしらだし)
神社境内にある狛犬、お囃子の獅子舞などと同じく邪気を祓い清める役割をもつ。神田祭では祭礼行列を守護する。昭和58年に復興した。

宮鍵講

(みやかぎこう)
神田明神独自の崇敬講。江戸時代より豊島町そして馬喰町の付木棚の商人たちが、神人として神田明神に奉仕して以来続く。歴史的書物には、神田祭の際に神輿を神輿庫から出し、飾り付けを行い、宮入の際も神輿を神輿庫へ納める重要な役を担っていたと記録されている。現在も、神田祭や神社諸神事に奉仕している。

御防講

(おふせぎこう)
天明年間に、神田明神周辺の職人の親方たちを中心に組織された講で、日々神田明神を守ってきた。災害時には、自らの命をなげうって、神田明神に被害が及ばないよう警護し、町の信頼も厚かったという。また神田祭の時には、祭礼行列の警固にあたり、神輿が無事に町々を巡行するよう見守った。現在でも、神田明神の諸行事で奉仕している。

神馬あかり

(しんめあかり)
平成22年5月15日、信州・佐久高原生まれの牝馬。毛並みは「あし毛」という灰色で、歳をとるごとに白毛に生え替わり、白馬になっていく。明るく平和な世を願い、また神田明神の「明」の一字をもらい、この名をつけた。神田祭では、神幸祭において花籠の馬車を曵いて参加予定。
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